保身の嘘の話。
自分を語ることが、嫌いだ。
それはほんとうの自分を見つめることからの逃げでもある。だけど、それ以上に自分というものが全然好きになれなくて。
それに関連して、
あまり人を信頼することも好きではなかった。
どうせ裏切られる。
どうせみんな、大切なのは自分。
小さい頃のトラウマのようなものが、
笑顔の代わりに、心にずっと棲みついていた。
———
高校2年の春から半期、アメリカの高校に留学した。
英語は周囲よりは「できるほう」だったが、
我ながらほんとうに苦労した記憶しかない。
でも、この半期が、わたしを変えた、と思う。
この半期がなかったらきっとわたしはいつまでも、
何もしないで、好きなことも、好きな人も、やりたいことも、夢も目標も、なにもなかった。
まさに「無人間」になっていたと思う。
アメリカでは、
いろんな国から来た各地の高校生と、
よくわからないまま、
何語なのかすらもわからないまま、
気合いとパッションでよく語り合っていた。
お気に入りはフードコートの窓際の一番端、
バスケットコートのよく見える、
世に言う穴場。わたしの定位置。
いつものあそこね、と集合をかけて
バスケットコートを眺めて話をする。
大抵集まる6人は全員違う国から来ていたので、
わたしたちはその語り合いを
「密かな世界会議」と呼んでいた。
・
「保身の嘘」をひとつ、身につけておけ。
いつぞやの世界会議でフランス人に言われたこと。
この言葉通り、わたしは大抵、外面上辺の付き合いをするときは、年齢をひとつ下げて言っている。
なんで?って思わない人はいないと思う。
わたしだって最初はよくわからなかったし。
でもこれは、なんというか、
自分の中の、ひとつの牽制だったりするのだ。
真実だけが、美徳じゃない。
自分が嘘をつくことで、社会の真実がよく見える。
疑心暗鬼になることはよくないけれど、
社会を疑わなくてはなにも始まらない。
そして貴女がその相手のことを大切に思えたら、
信頼できると思ったら、全て明かしなさい。
ほんとうに、ほんとうに、
どこまでもアムールの国だなと思った。
口説くように話す彼に妙に納得してしまい、
その場にいた6人で、保身の嘘をつく約束をした。
そして、嘘とはなにかをその後暫く議論したが
結論が出ることはなかった。
保身の嘘、かあ。
そんなのもあるんやな、世界って広いなあ、
みたいな程度にしか思ってなかったし、
ふうん、私には必要かもな。と思っていた高校2年。
・
あれから3年が経った。
いろんな人に会った。
たくさんの種類の愛をもらった。
上辺付き合いのつもりが深く、深くなってきて、
少しずつ、ついてきた嘘が、辛くなってきた。
だって、だって、
こんなに周囲を信じる日が来るなんて。
こんなに最高の居場所を見つけられるなんて。
他人は信頼しないって思ってたのに。
なんでだろう。苦しい。
・
あの日の世界会議の結論が朧げながら出た。
保身の嘘、すごく役立ったよ。
でも、他人に対してはどんな嘘もついちゃダメだ。
保身であれ何であれ、
わたしはもう、いつのまにか、1人じゃなかった。
せめて、自分に向けた嘘をつこう。
世界を疑う心は失くさずに、
本質を見極める目を養おう。
世界会議の6人がまた集まる日は来るのだろうか。
そのときにまた議論したい。
さて、問題が山積みだ。
旅とわたしと仲間と夢と。
さて、初記事。
とはいえブログは初めてじゃなくて、読者100人レベルのものを4年位細々と書いていたことがあって。
ほんとうにただ文字を紡ぐだけのものだったけど、思考を整理するにはうってつけだった。懐かしい。
だけど、大学生になって環境が変わった。
ストレスで、全部に疲れて、海外に少し旅に出た。
そこでストン、って、迷っていた思考が、突然、素直にはまる音がした。意地と見栄がいらない場所で、端的に、単純に、わたしの脳は答えを出した。
1回全部やめよって思った。
シンガポールの海沿いのレストランでパスタを食べてるときに、ブログもInstagramもtwitterもアカウントを消した。さらにブラックなバイトもやめたい旨のメールを送った。参加を決めていた学生団体も、これから3回の出席確認を“欠席”に変えた。
気付いた、楽しいことしてないなって。
生きる意味とは、っていう議題で、高校時代に学級討論した記憶がある。夢や目標を語る友達に囲まれる中、わたしには夢がなかった。したいことも、やりたいことも、好きなことすらなかった。夢や目標を語り、宣言してる友達が羨ましかったし、自分がなんだか情けなくて、みんなに隠れてちょっとだけ泣いた。
今思えばそれは、好きなことを好きだと言えなかったせいかもしれない。勉強第一の進学校で、音楽が1番好きで仕事にしたいだなんて。バカにされて見下されるに決まってる。苦しかったけど仕方がない、そうやって私は自分を殺した、わたしの音楽の技術や才能を認めてくれていた先生には惜しまれたけれど、そして、わたしはピアノをやめた。
後悔してないなんて言ったら嘘だ。だって何回も泣いたし、勉強なんてしたくなかった。でも音楽で生きていけるわけないじゃん、って、結局いつもそう、自分が自分を諦めさせる。
その頃からだったと思う、わたしが人生を「省エネモード」で生きるようになったのは。
嫌だ。逃げたい。無理。なんでこんなことしてるんだろう。辛い。悲しい。受験勉強と厳しい部活、好きな音楽をできない辛さや家庭でのちょっとしたトラブルから、そんなマイナス思考が蓄積されていくのに疲れて、エネルギーを消費するのが億劫になっていた。人間関係も疲れて、周囲に自分から馴染もうとせず、無駄な関わりを避けるために教室の隅の席を好み、透明人間に徹する。本音より協調。怒ったり落ち込んだり喜んだりするのも消耗するのでなるべく感情の起伏をなくして平坦な心でいることを徹する。普通に生活しているので完全にスイッチは切れたわけではない。まさしく、「省エネモード」だった。
そして、それは意外にもなかなかに楽だった。エネルギーを消費しない、自分の好きなように過ごせる。慣れてしまうと、楽しそうに騒いでいる人たちを無心で見守れるようになった。どうせ人それぞれ、わたしはあの子たちとは違うんだろうな、と思いながら。「あなたって本当に冷静だよね」「落ち着きがある」とか言われたりしたけど、今思えばそのときも、マイナス思考は消えてはいなかった。
そして、その省エネモードが解除されないまま、大学生になった。
春休みに晴らしたと思われるストレスが残っていたようで、しばらくつらい日々だった。そんなわたしを見かねた従姉がある団体を紹介してくれた。
具体的な名称の明言は避けるが、全国にいくつも支部のある、大きく、楽しい、1つの組織として美しく出来上がった団体だった。ざっくり言うと旅好きの集まる団体だったのだが、昔からひとり旅で日本やいくつかの国を巡っていた、旅が好きなわたしには本当にぴったりだった。
そこで、たくさんの人と出会った。世界一周した人、起業している人、自分なりに旅を広めようと活動している人。自転車で世界一周した人、海外にシェアハウスを建てた人。新しいことをやろう、自分がやるんだ、不可能なんて怖くないんだ。全部に立ち向かう勇気を持った人がそこにはたくさんいて、ものすごいエネルギーに溢れていた。
ゾクゾクした。
久しぶりの感覚だった。
まるで、地平線の向こう側から昇ってきた太陽を見たときの静かな興奮みたいな。
テニスで戦術が上手くいったときの爽快感みたいな。
いつかのライブで浴びた、歓声の眩しさみたいな。
それだけじゃなかった、お互いの夢を応援する精神にも溢れていてただただ圧倒されるばかりだった。夢を守るためには休学も留学もなにもかも当たり前、フッ軽、アグレッシブ、アイデアマン。楽しくて心強くて最高で。力強く笑う仲間に自分も入りたくて、その場でその団体に入ることを決めた。
団体に入って1ヶ月、合宿があった。
飲み会の時間、周囲がワイワイ騒ぎ、ゲームをして潰れていく中、わたしは個人的に頼りにしている先輩と2人で語っていた。その途中で先輩が言った。
「なんでそんな落ち着いてんの?大1だよね?」
あはは、よく言われます、なんて言って流したが、心の中ではそうだよなあ、と思うばかりだった。少し考えて、思いついた。「省エネ」だ。このときやっと、初めて、自分が省エネモードで生きてきたんだなと気付いた。気付いて、全てに納得した。今までの人生を振り返っても、当てはまることばかりだった。すこし悲しくて、ちょっとだけつらくて。でも、やっと答えが見つかった気がして安堵した。なんだかまた少し、いいように人生が変わる気がした。
だから。
だから、わたしは宣言する。
脱・省エネモード。
もう自分に制限はいらない。
制限をかける理由もない。
ここから、変わっていきたい。
これが、わたしがブログを再開する、理由。
これは、わたしの、物語。
また少しずつ、綴っていく。
茜。